ハンドラー

目の前にハンドラーがいて、何枚かのカードを差し出している。娯楽にしろ、就職にしろ、住まいのあり方にしろ、そうやって差し出されたカードの中からチョイスする…

そういうことにまったく疑問を持たない人が明らかにいらっしゃいます。「疑問を持たない」というところがミソです。
意識することができれば改めることもできますが、無意識では如何ともしがたいわけです。

そしてハンドラーにコントロールされた人生を送る…

身体によくない化合物を、美味しい美味しいと食べさせられて実際に発病してしまって、でもそれを「運命」だと考えてしまう。ローン地獄にストレス社会を強いられても、それに耐えることこそが大人の人生だと自分を納得させる。

休日のコメダ珈琲で、一杯の珈琲を目の前に、お店に備え付けられている雑誌をチェーン・スモーキングのように読み続ける中年の男性がいる。たぶん「家」にはいたくない、「空間」的、「場所」的事情があるのでしょう。そんな人が何人もいます。

「なんで大学に進学したんですか」と問われて明確に答えられなければ、彼にもハンドラーがいたのでしょう。

「人間」は確かに「物語」です。でも、その物語を自分で紡ぐか、誰かの物語に乗せられてしまうのかは大違いです。既製服の方が失敗は少ないかもしれないかもしれませんが、どこかに「着心地」の悪さは残ります。そして、些細なことと思われているこの「着心地」の悪さ。ときに生命を脅かします(特に「心」から)。

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