面妖なところ

1961年生まれの僕は、どれだけ「これまで」から距離をとれるかだと思っています。何十年も生きてくれば覚えてきたこともあるから、その経験までを捨てちゃう必要はないんですけど、僕が若い頃のスマートさってコネクションとか、人脈とか、そういうものを豊富に持つとか、いろいろな人を知ってるとか…そんなんでしたからね。知識を持つにしても、必ずしも自分の判断力を養うためじゃなく、博識なら感心してもらえたとか…そんな感じで、だからこそ、一ジャンルに詳しきゃよかったわけです。

(いかにも工業生産な分担の考え方です)

リーダー像といっても、組織デザインの上手さより、ライブの中心にいるフレディ・マーキュリーみたいなカリスマ性だ。でも、今はそういうアジテーション能力より「人が集まってくる情報」を創造できるかどうかでしょう。しかも、そんなマスな大衆の時代は終わりかけている。たぶん、これからは、全国・全世界に散る、お互いの生活文化に共感できる友だち(クロード・S・フィッシャー氏のいうような)とのコミュニケーションを維持しているか。そこ回路をどのように創作しておくのか。つまり、コニュニティという壁があって、その中に人を囲い込んでおく力量ではなく、出入り自由なネットワークをどう構築しておくかだと思うんです。

「これまで」とは、ほぼ180度違う…

イベント、シンポジウム、パネル・ディスカッション。壁新聞のようなwebサイト…どれもが、もう効果を上げることはないと思いますね。コミュニティができてしまうような空間づくりも違うと思う(コミュニティ・カフェとか)。

ただ「質的な違い」なんで、見ようによっては「従来」に見える。相変わらずイベントをやっているような感じ…「旧い」「これまで」だと言ってる本人がコミュニティ・カフェをやっているような。

つまり、そこが面妖なところ。はっきり言って判りにくい。

でも、高尾山は、僕が小学生の頃、登ったときとは明らかに「場所」性は変わっているんだけれど、空間的には変化してませんからね。
それが何よりの証拠です。

もうコネでもないし、カリスマ性でもない。コミュニティでもない。知識でもない。…どうしましょ。
僕はとりあえず離れて考えてみることにしましたけど。

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