人間ぐらいなもの

さらに近代以前にも寛永(会津地方中心)、元禄(青森中心)、享保、天明は全地域に渡るなど、東北地方は何度も大飢饉に襲われています。

東北地方には、いったん弥生の稲作文化を受け入れてから、また縄文に戻すという「続縄文」という時代を迎える地域もありますが、近年、花粉化石の遺伝子解析などから、東北地方には稲作文化が入ってくる以前から、中央の価値観からすれば「雑穀」や栗などを中心とした農耕文化があったと考えられるようになってきています。また、現在ある稲作も、平泉を中心とした東北文化が関東武士団に滅ぼされた後、彼らによって押し付けられたものであり、また関東武士団は東北地方の気候と、もともとは熱帯性の植物である稲の相性をあまり考慮せずにいたのではないかと考えられるようにもなってきています。

つまり、東北地方には、関東武士団の独り相撲によって翻弄されてきた歴史があるのだということです。

それに、このことは「画一化」が理にかなっていないことの、ひとつの証明なんじゃないかと思っています。

20世紀は、右だろうが左だろうが、どちらか一方の色に世界中を染め上げようとしました。そして「グローバリズム」という考え方はその邪悪な末裔であり、結晶です。

生命が多様性を失えば、それはすなわち「死」。絶滅です。

街角の、人間たちが雑草と呼ぶ彼らに目をやってみてください。人間の手が入っていなければ、必ず、彼らは「寄せ植え」の状態です。猫の額ほどの土に少なくとも数種が肩寄せ合って生きています。虫に葉を食わせ、虫は鳥たちを集め、鳥たちの糞は土を肥えさせ、植物の生息域を広げます。

地球全部を自分の色に染め上げようなんていうバカは人間ぐらいなものです。

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