元町/中華街あたり

僕が子どもの頃は、ヨコハマの元町でも麦田のトンネル側…つまり5丁目をちょっと登っていったあたりには、こう申し上げてはなんですけれど、たぶん平均より、ちょっと貧しげな家があって、元町の商店街だって(確かに進駐軍相手の洋風なところ、開港地らしく外国人向けに高級骨董を扱う店なんかもありましたが)どこの街にでもある餅菓子屋さんとかもありましたし、裏スジには、横浜家具や楽器の工房があって、確かにつくっているものはハイ・カルチャーな感じだったのかもしれませんが、東京の下町のような風情もあって、現在のように「街全体が一様にハイ・カルチャー志向な感じ」ではありませんでした。
元町と石川町を結ぶ商店街は、尚のこと 庶民的で魚屋さんもあり、定食屋さんもありました。
山手の本通りだって、根岸に向かって歩けば、その同じ空間が山元町という街場な商店街にそのまま繋がっていて

…なんていうんでしょう。

現在よりも多様に混在している感じでした。

それが、いつしかばっさりハイ・カルチャーな感じで、中華街のしもた屋が並んでいたあたりもセキュリティばっちりなマンション群…山手だけが増殖してきた感じです。ただホンモノの山手ではなく、あくまでも「モドキ」な感じがよけいに悲しくて、背伸びした貧乏人の切なさがありありとした感じです。

公共建物はもとより横浜市役所がつくる公園もハイ・カルチャー志向な空間です。これは法律に定義があるわけじゃないんで、お役人や姿勢に発言力を持つ人々が「何を愛でたのか」がありありとわかる感じです。

まあ、もともとフィクションなヨコハマ都心ですから、書き換えようと思えば「あっさり」です。メモリー的に残される建物もハイ・カルチャーな近代建築のミイラですから、ロウ・カルチャーは跡形もなく、中華街にも元町にも、僕が学生だった頃からあるお店は数軒ほど。面白いなーと思っていたキャラクターもとっくにここを後にしているか、お亡くなりになっていて、ほとんど何も残っていません。

ただ、空間や建築物を造れる人々が興味を失ってくれるだろう、これからは面白くなるのかもしれません。
そういう意味では、占領軍が何をしようが血脈を繋いできた街でもあります。

いずれにせよ、これまでの利権的な企業家やお役人が勢いを失い、小型のビルなどを所有する大家さんなどがニッチもサッチもいかなくなることでしょう。

そうなれば、若者たちが芽吹いてくれる可能性がある…

つまり、ダメになればダメになるほど「面白くなる」可能性は高くなるというわけです。もちろんダメになった街で芽吹くわけですからナマナカではないでしょう。

でもね。すでに始まっていたりもするんです。保たないお店も少なくないですが。

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