引用

ただ、見えないだけ

この本の中で、小沢昭一さんは、敗戦直後の下町にあって(オヤジ方の)わがご町内の存在がいかに貴重であったか、有難かったか、心情たっぷりに語っておられます。
正確に言えば、小沢さんが浅草の範疇に数えられているうちの方は、あえていっても元浅草で、浅草じゃあないでんすが、あの周辺で唯一焼けなかったわがご町内は、敗戦直後の時代を生きていた東京人にとって、珠玉のように、貴重なものだったということなんでしょう。

asakusa有難いことに、わがご町内は、東京オリンピック前後の開発ブームは免れていたので、僕は、夫婦漫才の師匠や、レンズ磨きのおじさんたちが混在し、うちの隣はそろばん塾という、昔ながらのご町内を経験することができました。でも、子どもの頃から、その時間と空間を当たり前のものとして過ごしてきた僕は、その貴重性を殊更に意識することもなく、尊敬する小沢さんの、短いけれど、ひしひしと伝わってくる思いに触れて、ようやく、その有難さを理解したというのが正直なところです。

しかも、そうやってちゃんと認識できるようになる前に、わがご町内の「ご町内らしさ」は、バブルを前後して完全に消滅していました。

(銅ぶきの看板建築が次々になくなり、銭湯がなくなり、誰それが引っ越すだの、どっかにマンションを買ったのだのという話しが続き、あっという間に、雑居ビルとマンションの街になってしまいました)

あの頃、たまたま、どっかの大学で、わがご町内の開発計画を耳にしたことがあるのですが、なんだか、理科の実験で解剖されるカエルの気持ちがわかったような気がしました。先生の有難いのお話を聞きつつ、何が街づくりだ、グランド・デザインだ、よそ者が何を言ってやがると思い…、すでに似たような仕事をしていた自分自身をも呪っていました。

(その開発計画は幸いにして実現しませんでしたが)

とにかく、再開発っていうのは空襲以上の破壊力を持つこともあるということです。しかも味方どうしの殺し合いみたいなもんです。

一定の時間、ビジネスをすると、成功した人ほど東京に引き上げてしまうヨコハマとは違って、東京には、その土地に定着する、よき中間層が育ちつつあります。確かに大震災や空襲などの風雪はありましたが、それでも残る家もあり、街場の文化を洗練に導きつつあったわけです。それを前の東京オリンピックが破壊し、1980年代末のバブル経済が空虚なコイン駐車場に変えていった…

なんと惜しいことか。

街文化の熟成には時間がかかります。イベントのようにお金をかければ「それなりに」というわけにはいかないものです。街かどに、その街文化が薫るようになるまでに、あっさりと数百年の時間が必要だったりします。その「悠久さ」を一時のお金儲けのために分断してしまうことは、過去の人々からも、未来の人々からも歓迎されないでしょう。

可視できないからといって、そこに何もないわけではなく、歴史は、過去から未来へと確実に流れているもの。

ただ、見えないだけなのです。

ぼくの浅草案内 小沢昭一 著 筑摩書房 刊(ちくま文庫)

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