カネになる興行

今の京浜急行「神奈川駅」あたり、改札を出たあたりがすでに海辺で、現在の横浜駅東西口、その周辺の再開発地は全部、海でした。そして、これが神奈川湊。関西方面から知多半島の廻船問屋を通じて関西方面からの荷を江戸に流し、中世期には隅田川を使って北関東へ荷を流す拠点にもなっていました。また伊豆七島からの荷受拠点にもなっていました。
現在の横浜駅東西口はちょっとした入江で船の停泊にも便利。そうしたことから神奈川湊は、六浦(横浜市金沢区)、富津(千葉県)・木更津(千葉県)などとともに、遅くとも13世紀には江戸湾内の海上交通の中継地のひとつでした。こうした利便性は、東海道だけでなく八王子方面からの神奈川道など「陸上の重要街道」も集め、今で言えば鉄道のターミナル駅のような状態になり、隣接する神奈川宿は江戸時代まで政治経済の拠点として栄えます。

こうしたことからペリー来航以来、この国に開国を迫った諸外国は「神奈川での開港」を望みます。しかしながら「江戸まで街道一本、1日で往復できる距離」での開港を嫌気した幕府は、神奈川湊の一部として、当時は開発された新田の地先だった場所に今の横浜港を築港し、そこを開港場にします。

つまり、横浜港というリアルはあらかじめ失われていたのです。

河口周辺の丘陵を削って埋め立てた新田の地先は、自動的に「三方を崖に囲まれ、一方は海」というロケーション。貿易益の独占を狙うには格好の場所です。しかし、地先は「遠浅の海」。絶えず浚渫(水深を確保するために水底を掘って土砂を汲み出すこと)を繰り返していなければならないところ。明らかに港としての利便性や歴史性(人の営みが自然に積み上げてきた人やモノの流れなど)などよりも、外国貿易というビジネス。つまり物語を優先しての横浜港築港だったのでしょう。

ことほど左様に、横浜港、そこから派生したヨコハマという都市自体がフィクションであり「カネになる興行」だったんだと思います。

だから、この街ではリアルより、フィクションに価値がある。
…裕次郎、松田優作、あぶ刑事…リアルとしてはどこにも存在しない彼らこそがこの街のアイコンになる。
それがヨコハマです。

敗戦直後、ヨコハマには「全国の接収地の全国の接収地の62%を受け止める」という現在の沖縄県のような状況がありました。当然、翁企業の拠点は東京へと引き返し、小さな企業も操業地を奪われて四散していきました。「嘘から出た真」という言葉がありますが、この敗戦と関東大震災がなければヨコハマにもヨコハマなりのリアルが育っていたのかもしれません。
しかし、実際には二度の災禍にヨコハマのリアルは空洞化し、さらにフィクションを重ねてなんとか今日に至ってきたのが実際のヨコハマでした。
でも、このフィクションがヨコハマをなんとか支えてきた時代もそろそろ終わりを迎えようとしています。それが証拠にクロアンコウのオスがメスに吸収されていくように、ヨコハマは東京イメージの中に取り込まれようとしています。

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