こうは言える

たとえ、何十万人の人が国会議事堂を十重八十重に取り囲んでいたとしても、一億数千万人の国民からすれば、たんなる少数だという人がいますが、それは間違いです。

良い悪いは別にして、集団生産制が絶対だった時代はすでに終わっているか。近く終わります。

ある種の「動員」に応じてあの場にいる人は「みんな」に属して生きていく時代の末裔かもしれませんが、「自分の考えとして、あそこに行く」という人も数多くいます。行動を起こしながら、つながるときはつながるが、間違っても行動を起こす前に団体をつくるということはしない人たちです。大向こうに呼びかけるときも「みんなで」の安心感など顧みず「私」が呼びかける感じの人たち。

彼ら、彼女らはイデオロギストではなく生活者です。
そして、自律的な生活者であるが故に、私立の「公」を探し始めています。

たぶん、彼ら、彼女らを、たんなる「戦争反対」なイメージに押し込めているのは旧いマスコミの記者さんたちの方でしょう。でも内実の彼ら、彼女らは、既製品の日常生活を続けながらただたんに「戦争反対」のプラカードを掲げているのではなく、自律的に自分のライフ・プランを練り、そのライプ・プランを前提に、政府の行動に疑義があるから行動に出ている…

もちろん、彼ら、彼女らは、物理的な「数量」としては少数でしょう。でも「彼らが創造する情報生産量」としての彼ら、彼女らの行動は少数でしょうか。

集団生産で均一な品物を大量に作る時代が終われば、この「彼らが創造する情報生産量」は「量としての多数」を凌駕するようになります。
マイノリティを非国民だといって取り締まったり村八分に置くようになれば、その国は生産性を失います。

誰が意図して仕掛けたものではなく、時代の断層が「突破口」をつくる…

時代は、これまでもこうやって変わってきたのでしょう。

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