いつかは「止め」になるとは思いますが

自分に都合の悪いことはあえて発表しない(他人に言わない)。

インターネットの中の世論が、こういうことをどんどん不可能にしていっています。政治家などの公職にある人だけが対象になるのでなく、市井の庶民だって、そう。今どきのお子さんは、十代の頃のお父さんやお母さんがどんな人物だったのか、それを知ることはたやすいことなんだそうです。
本人にとっては「点」にすぎない記録もつなげれば「面」。言説の変遷も手に取るようです。
ブログやツイッターなどで自分の考え方や判断、好みについての発言が公開された記録に残ってしまう時代になると、めちゃくちゃ詳細な履歴書として、毎日のように検討材料を公開していることにもなるわけです。

そして、すべてはひとりの人格の中に判断される。

帰宅途中に私人として立小便をしていたお父さんも、そのことによって就業者としての立場を失うのかもしれない。何しろ、状況証拠ではなく、映像付きの直接証拠だし、とぼけようがない「本人が書いた文章」だったりするわけです。オフタイムもオンタイムもなく、その人の考え方が仕事もするわけですからね。将来はブログやツイッターの更新記録が、現況の「不動産持ってますか?」同様、借金するときの実績評価の対象になるっていう人もいます。

もちろん「仮説」だからって「的外れなことは言えない」っていうのはいうまでもありませんし、ウケ売りも効かなくなるでしょう。
実際、本の書き方も変わってきて
前書き、あとがきで「これは私の仮説です」って、ちゃんと明示する著者も増えましたしね。

メイン・ストリームの揚げ足取りでパパラッチな感性に大きな変化がない限り、行くところまで行くのかなと思います(誤解も捏造も含めてです)。

いつかは、みんな疲れて「止め」になるとは思いますが、それまでは「なんでもエクスポージャーされるかも」と思って、自分の行動をデザインしておいたいいのかもしれません(疲れますけど)。

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