人工と自然との乖離

1980年代のはじめまで、中華人民共和国では成人男性のほとんどすべてが人民服を着用していました。為政者は率先してそれを着用し、女性にも多く着られていました。
若い世代のみなさんには想像しにくいかもしれませんが、全国民が学ランを着ているようなもんだと思ってください。今日的に例示すると北朝鮮の首領様のファッションがそうですし、僕らの世代には初期のYMOがステージ衣装にそのパロディを登場させていたところが懐かしい感じでしょうか。

いずれにせよ。鄧小平による改革開放路線が定着して以降は、急速に過去のものになり現在の中華人民共和国では、人民服を手に入れることは難しいといわれています。

小学生の僕は人民服を「異様なもの」として記憶しています。北朝鮮だけでなく、軍事政権下の韓国もマスゲームやってましたが、あの「異様さ」と同様のものです。
でも考えてみれば「前に倣え」な僕も異様ですし、高校では制服があり、大学生たちのリクルート・スーツ姿もじゅうぶん異様なわけです。

どの生物も「多様」がスタンダードです。そうでなければシジミ・チョウだけで6千種を超える種類があるなんてこともなく、草花だって貝だって多くの亜科・属に分けられ百花繚乱なんてことはないはずです。

なのに大多数を一色に染めあげようとする…これこそ人間のエゴだし、不自然の極みでしょう。「異様」に感じられるのはそれ故のことなんだと思います。
それなのに、率先して「一色」に染め上がろうともするのが僕らだし「一色」を奇異に感じないことだってある…

恐ろしいことだと思います。

でもね。人間は人間の脳の中に形作られたイメージに沿った「人間」というだけでなく、歴とした動物でもありますからね。人工と自然との乖離が激しくなると僕らは崩壊を始める。

なぜ、僕らが住んでる社会はこうもストレスフルなのか。
もう一度、よく考えてみたほうが良さそうです。

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