下らないことで幸福感が得られる

「どのコミュニテイに属していくか」が死活問題であり、その状況を維持することが「生」に繋がる…
でも、どのコミュニティにも「憎まれっ子」はいるし、声の大きな人によっては解釈自由な「規範」がある。
一員となった人は、そのことに神経をすり減らし、場合によっては心を病み、少なくとも「いじめ」に怯えるようになる…

大学教授なんて、とても気楽な稼業に見えるかもしれませんが、学会での立場、学内での立場に随分と腐心されています。
テレビのコメンテーターでご活躍の方なら話もまた別なんでしょうが、学会や学内での知名度や人脈を頼りに生きている人は、ホントウにたいへんそうです。
サラリーマンだって社外に出れば「無名の、ただの人」。だから満員電車にも、社内のいけすかない野郎にも耐えるわけです。

どこの誰にだって認めてもらえて、お金が貰えるような技能や技術を持っていること。
たぶん、自由はその向こう側にしかありません。

「私らしさ」を愛でてもらって、食わせてもらえればそれにこしたことはありませんが、そんなことは、あっても万が一のレアなケースでしょう。

耐えて、コミュニティに属していく道を選ぶか。
どこの誰にだって認めてもらえて、お金が貰えるような技能や技術を持つ道を選ぶか。

どちらにしても茨の道です。

でも、その「茨の道」しかないんだということを認めてしまうだけで、かなり楽になります。
事実「どうして?」「なぜ、わたしだけが?」は、むしろ誤解です。

「どうせ、生きてるうちは苦行だ」と開き直ってしまうと、下らないことで幸福感が得られたりします。

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