もう「きょう」になりましたか。
きょう、どうおっしゃるかにかかったような談話になりました。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
とあります。でも
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
この一文はまさに玉虫色です。どちらにも読めますし、つまり、前文とは矛盾しているようにも読めます。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
この文章も戦争を思い切り肯定しているように読めます。でも
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。
ともあります。
ただ、この文章、植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。と結ばれています。2つの文章を重ねると大東亜な感じを思い切り肯定しているようでもあります。なにしろ靖国神社はそのままです。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
「挑戦者」を英語ではなんと訳したのでしょう。まさか「 challenger」だったらどうしようと思っています。