体験していないことをわからない。実感のないものはわからない。
そういう価値観の方には、それ以上のことをいってもなかなか難しいんだと思います。
多分、米粒のような人間に宇宙の存在を実感するのは不可能で、だからアイシュタイン博士をして数式で宇宙を描写するしかなかったんでしょう。
同様に戦後生まれの僕に原爆投下直後の広島や長崎の惨状を実感することは不可能ですし、あの日の御巣鷹山の状況を実感することも、あの津波を実感することもできません。
だからこそ、断片的なドキュメントを重ねて、あの日を想像するしかないと思っています。
だって「体験していないことをわからない。実感のないものはわからない」ということは明日の災禍に無防備でいるということ。僕はいいとして、あと40年は生きるだろう、うちの奥さんはそれでは困るはずですし、お子さんのいらっしゃる方はなおのことでしょう。
とにかく、自分の身を以て「体験していないことをわからない。実感のないものはわからない」は予測を放棄することだし、かといって、簡単に多数のいうことに従えば、命取りの「予断」になりかねない。
だから自分でデータを取り、自分で考えることをやめないということを示すことでしょう。
54歳になって、やっと市井の僕らと戦争がどう繋がっているのかがわかってきたような気がします。
まだまだですがシミュレーションは続けます。
そういう姿勢を受け継ぐことだと思っています。
僕らは、都合の悪いこと、どうでもよいことはすぐに忘れます。直感なども誰かから吹き込まれた暗示の発露にすぎません。
そもそも自分の体験など微々たるものです。それに限界があるから学問があるようなものです。
だから考える。冷静さを保つ。自分で自分をごまかさない。
このことを周囲に受け継ぐこと。気合や情熱を否定すること。
忘れたいことを忘れないということは辛いことでもありますが、水に流せば過ちは繰り返すのが世の常です。
だから、忘れずに冷静に分析すること。これが反戦であり、安全への第一歩です。