苦しくても「自立」の道を

1945(昭和20)年8月8日。当時のソビエト連邦が「ポツダム宣言を黙殺した」ことを理由に、大日本帝国に宣戦布告。しかし、対応を決定する権限があった最高戦争指導会議はポツダム宣言受諾問題で紛糾していたため、対ソ宣戦問題を討議する余裕が無く、結局、日本側からの対ソ宣戦は行われませんでした。

つまり、当時の満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島へのソ連軍の侵攻に対しての日本軍の反撃も各地の司令官の自主性に任されたもので、多くの民間人を置き去りにしたまま軍隊が先に撤退していくという事例も各地にありました。

このことが数え切れない、そしてあまりに悲惨な体験を市井の人々にもたらす…

負け戦だったからではなく、政府の決定に責任を持つ人々の仕事ぶりが、満州で餓死してく子どもたち。自分の赤ちゃんを川に投げなければならなかったお母さんたち。凄惨な暴力を受けなければならなかった女性たちを、あまた生み出していきました。

「委ねる」のは危険です。苦しくても「自立」の道を歩んだほうがいい所以です。

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