「鬼畜米英」という言葉には 一般のアメリカ人、イギリス人、その個々人が畜生であり、鬼であるかのようなイメージがあります。でも、当時のうちの叔父貴は、アメリカ人、イギリス人、その個々と会ったこともなく、故に私怨など持ちようもないわけです。もちろん、うちのオヤジもそうです。
それでも戦場に行ったのは、それが政府の命令だったからです。
当時の教育も男子は兵士になることが当然だと教えていました。
そして、兵士になったら、軍隊の部品になって殺し合いをする…
とにかく、国民ひとり一人には、自分の命を的にして敵国の兵士と闘う必然性はないわけです。
どこの国でも、軍隊は「国防軍」と名乗っています。侵略軍ではないわけです。実際、日本も国土が攻められて防戦したのは、最も最近で「元寇」の昔。今から700年以上も前のことです(幕末の薩摩、長州のことはありますが、あれも避けられた闘いですね)。あとは秀吉の朝鮮出兵みたいな侵略戦か、防衛戦にしても極めて予見的に国外で闘ったものばかりです。
こういう事実があって「敵国が攻めてくるかもしれないから国防に予算を割く」というのはどういうことなんでしょう。
戦争に関しては、とにかくツジツマが合わないことばかりです。