イメージからの離脱

僕らの不幸せは、たいていが人間がつくりだしたイメージに拠るもの。特に倒れた後、僕はそう思うようになりました。

例えば…

資金不足で、なかなかマイホームが持てないという悩みを持つ人がいるとして、その「マイホームが持てない」に実利的な必然性はありません。
そもそも長期ローンの借金で購入した家を自宅と定義して良いのかどうか。だってローンを払い終わるより自分の寿命の方が短い可能性すらある「自宅」と「借家」には、あまり違いがあるようには思えません。

でもマイホームが持てないと悩み、持ったことによって抱える長期ローンに悩む…

自然災害への恐れにはオーガニックな必然性がありますが、小学校に上がるときにランドセルが買ってもらえないという不幸は人間が作り出したイメージに拠るもの。しかも、たぶんに企業の「売らんかな」戦略が絡んでいます。
バレンタイン・デーにチョコがもらえないことに不幸を感じることも、結婚指輪の購入資金に悩むことも、必然性のない「つくりごと」。だから、ランドセルもバレンタイン・デーも、日本にしかない現象なんでしょう。

そういうふうに考えていくと、不幸を生み出すもののたいていが「人間がつくりだしたイメージ」という空っぽの幻想。
僕らはそういう幻想に振り回され、リアルなストレスを生み出し、場合によっては身体や心に実際の疾病を抱える…

なにやら面妖なことです。

断捨離も、ミニマル・ライフは「物」から自由になるこを契機としますが、本当に目指すべきは「人間の描き出した幸福のイメージからの離脱」なんでしょう。

僕はそんな気がしています。

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