幸福のありか

最近、幸福のありかが判ってきたような気がします。
もちろん、掴みきれてはいませんし、つまりは仮説です。

ベッドからベランダ越しに見える青空をボーっと眺めていたり、散歩の途中、何も考えておらず、ただ条件反射的に手足を動かして歩いている状態になったとき。そいう自分に気がついた一瞬後に、とても落ち着いた気分になり、なんだか満ち足りた気分になります。

たぶん、この一瞬に環境という自然と一体になち、自分の遺伝子の中にある自然とも調和できているんでしょう。

この感覚を知ってしまうと、今の時代を生きる僕らがありていに思う「夢を叶える」は、あさっての方向を向いての幸福探しなんだし「あさっての方向」なんだからこそ、その方向で夢をおいかけても幸福にはなれないんだなということがわかります。

若い頃、とても行きたかった都市に降り立ったとき、なぜかとても虚しくなったことを憶えていますが、今にして思えるのが道理。なんの不思議もなかったんだなと思います。

つまりね。幸福はそこにあります。そこにある薄皮を一枚はがせれば
何があろうと、ずっと幸福でいられます。

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