たぶんね。それが命というものなのだとは思うのですが
人は、自分か自分の遺伝子のために人を利用し、共闘し、関係がないと思えば無関心で通りすぎようとする…
そうでないことは、とてもイレギュラーなこと。54年以上を生きてきて、つくづくそう思っています。
だからこそ
自分の子どもということではなく、純粋な未来という意味で、これから生まれてくる子どもや若者たちのために自分の身を盾にできるという人が少数でも顕在化してくれば、それはずいぶん大きな変化なんだと思っています。
夢よもう一度とばかりにプラカードを掲げる人。さながら地域コミュニティの動員に応じるように組合の動員に応じている人もいるでしょう。でもそういった20世紀のゾンビみたいな人たちはむしろ少数で、あの場には確実に自律的な「私立の公共」が始まっています。
たぶん、生地の人間は弱肉強食な動物でしょう。「人間らしい人間」は人間が頭の中に描いた理想形としてイメージしたものです。フィクションといってもいい。でも、なぜか僕らは、合わせて、その理想形を自分たちに実現しようとするエネルギーを持ち得ているわけですが、それは「道徳」的な縛りでもある…
戦争は理想形に縛られた本来の姿を人間に回復してやる快感を利用した金儲け…なんだと思います。
そこを正論で越えようとするのはお母さんたちです。
パール・S・バックじゃないけど「大地」だなと思います。
この国の終わりであると同時にすでに何かも始まっている…そういう時代だと思います。