これからも、この国が「法治」な国でいくのか。暴力を含む示談屋な社会になってしまうかは、たぶん、この8月。9月次第でしょう。
税金は王様のものだから王様がいうとおりに新・国立競技場をつくればいいのか。それとも納税者であるところの国民の主権に鑑み、国民が納得がいく範囲内で新・国立競技場をつくるのか。もちろん後者が道理ですが、この部分については道筋が見えてきました。
でも、安保が通れば、やっぱり「道理引っ込む」で、巷も示談屋な社会に変化していくでしょう。
あのとき「ああ言えば上祐」といいました。でも、今は政府がそうです。
まるでカルトな政府(つまり少数)が提案する安保関連法案が成立すれば、まさに衆議を原則とする民主主義の時代の終わり。強い者は強いし、弱い者は弱い。そして、強い者は何をしてもいいということになります。
かつてスターリンは、彼の娘スベトラーナが16歳の時に出会ったボーイフレンドに英国のスパイの容疑をかけ追放してしまいます。「道理引っ込む」な状況にある権力者とは、彼の私的な感情が、その国の「公」の判断になるわけですから、往々にしてこういうことが起こります。安保関連法案を成立させるということは、これと同様に「権力者の私的な感情が、その国の公の判断になる」という状況をこの国につくりだすことになります。
確かに安保関連法案だけでも恐ろしいことですが、この法案を成立させてしまうことは、いよいよ「少数による支配」を決定づけることになるということでもあります。
恐ろしい。
これが慣習づいてしまえば、安部さんたちが退陣しても「少数による支配」は残ります。
街場でも、こうしたことにすぐ追随する人が出てきます。
つまり、この8月、9月次第では、
多様性を認めない。少数の意見に耳を貸さないということではなく、ほんの少数に一億が「従え」と言われるような
この国のメインストリームにあまり考えたくない事態が起こるということです。