私は全共闘世代だが

定例記者会見で、記者から「国会周辺では若い人達が反対の声を挙げているが」と問われた菅官房長官。

「私は全共闘世代だが当時はこんなもんじゃなかった」とお応えになった。

でもね、長官。

当時というのが1970年安保だったとすると、今、国会周辺にいる若者とあのときの若者は全然質が違いますよ。
あのときの若者はなんだかんだ大義名分を掲げながら、結局は社会を「私」の思うがままにしたかっただけ。それが証拠に全共闘世代は今に至るも「公」の概念に乏しい…
みんなが「私利」に閉じてるんだけど、出生数が多く、機械の部品のように育てられてきたから、産まれながらに粒ぞろいの群衆。たったの3年間に800万人以上の同級生がいるんだから、ああいう騒ぎになる…

でも、プロレタリアートの解放のための闘いだと、ラーメン屋台を破壊して武器にして、企業の本社ビルに爆弾仕掛けては下請企業の社員を殺す。「私は全共闘世代だが」の全共闘世代はそういう「私利」のための権力闘争な世代です。

(「私利」を「公利」みたいに仕立てちゃうことにあんまり罪の意識は持たないみたいだし、そして自分以外の命に関心が薄いんですよね)

だから、菅官房長官は権限が与えられれば王のように一人で決める。政治家になったのも、社会を「私」の思うがままにしたかっただけなのでしょう。

一方、今「反対の声を挙げている若い人たち」には「私利」を超えた「公の概念」があります。しかも、そのことに「私利」を捨ててかかっているところがある。もちろん、彼らは同世代の中においては少数でしょう。同世代の大半は官房長官の末裔みたいな人たちです。

でも、彼らには「公」の概念があり、そして非暴力です。

官房長官、「私は全共闘世代だが当時はこんなもんじゃなかった」とお応えになった後に、人を小馬鹿にするようにニヤッとお笑いになった。
でも、人間として小馬鹿にされるべきはどちらなのか…

いずれにせよ。官房長官にはお判りにならないと思いますが。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中