やれること

殺菌と無差別爆撃。いずれも殲滅戦の考え方であり、20世紀はこれに特化することが、ある意味、正義だったんだと思います。同じように、多様性より純粋性でしたね。だから、僕らは「揃っていない!」と怒られながら更新をし、一本の線になるように「前に倣え」をし、お辞儀は45度だったんだと思います。

本来、民主主義は多数派の存在を明らかにしてから、それぞれの少数派の意見を聞き、多数派の意見とすり合わせをして全体の調和をはかる…それがホントのデモクラシーです。なんでもいいから51%をつくって49%を切り捨てるというのは「多数決の濫用」です。

でも「純粋にしてしまう」というのはホントに不自然なんです。実際、20世紀の果てに生み出された広い面積を一種の作物で埋め尽くすような農業も、一度それを行えば渇水と塩化で大地を完全にダメにするということがわかってきましたし、病虫害の温床になっていることもわかってきました。

安部さんたちの運営手法はまさに「広い面積を一種の作物で埋め尽くす」というもの。故に、この色彩が強くなればなるほど終わりは近づきます。ヒトラーも独裁の果てに、第一次世界大戦に伍長とはいえ一兵卒に近い経験しか持たなかった彼が元帥や大将たちに戦術的な指示を与えるようになって国の滅亡を呼び込みますが、そういう不自然さ。それが垣間見えるようになれば「終わり」はもうすぐです。

そして、不自然が生産されるとき、その不自然さに命を与えていた人々は、もちろんそのカタスロフに巻き込まれます。

僕が、そのカタストロフのどの程度巻き込まれてしまうのかはわかりません。
ただ、人間がどれだけ殲滅戦をしかけても、100%の根絶やしは不可能です。かつてのドイツやわが国がそうだったように戦後に萌芽は残されるものです。
自分が萌芽になれるなって決め込むのもいかがなものかと思いますが、
何事にも時間をかけねば、できるようにならない凡人故に、これからできるのは「戦後のこと」かなとも思います。

戦争、原子力など人間の勝手な「脳内イメージ」を具体化してしまったようなことをどう止めて、自然に寄り添って生きる生活をどう始めていくか。そういった意味で大都市のあり方も見直しの時期でしょう。

実験しては記録に残す。やれることはたくさんあります。

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