最近、メルケルさんがギリシャの人たちにもっと働けと言ったとか、言わないとか。でも、実際はドイツ人よりギリシャ人の方が労働時間数としては長く働いている。つまりギリシャはドイツに比較して労働生産性が低い、効率よく働いていなかったというのが、ホントのオチです。
日本でも、かつてのカウント法で営業成績NO.1の営業マンもよくよく調べてみたら、会社の経費をバンバン使い、残業も多くて、案外、労働生産性は低くそういった観点から計算しなおしてみたら、むしろ会社に損をさせていたという例もあった…なんて話しがクローズアップされるようになりました。
うちのオヤジの縁で・子どもの頃からあらゆるジャンルの「名人芸な職人さん」たちの知己を得てきましたが、どのジャンルの名人も魔法使いのように仕事が早い。アンビリバボーなスピードで名人芸な仕事をし、あっさり遊んでいる。それが粋ってもんだって感じの人ばかりでしたね。
ひとが1週間かかる仕事を1日でする。しかも誰もが舌をまく名人芸の仕事。あとは馴染みの店にいる…
実は「あとは馴染みの店にいる」の間に次の仕事の段取りをし、新しい工夫をイマジネーションしてたりするんですけどね。
労働も「量」から「質」へ。
たぶん、時給とか月給とか時間を単位に「中身は問わない」という給与体系は近くなくなっちゃうんでしょう。それが流れだと思います。
技能職たちはその先取りだったかな。
…というより、一律に時間給で計算できちゃうような労務がスタンダードっていう方が異常だったんですよね。
僕ら、機械でも部品でもなく、ひとり一人の人間ですからね。個性があってしかるべき。
名人は名人なりに.凡庸な人は凡庸な人なりに。それぞれに等身大に評価される給与体系がある方がリーズナブルだし
たぶん、全体としてもその方が労働生産性は高くなるはずだと思います。
時給とか月給とか時間を単位に「中身は問わない」って、実は平等でもなんでもないんですよね。