街並み

文句言いつつ、ストレスを感じつつ、でも「みんな一緒」を選ぶ。たぶん、大半の人々がそういう志向なんだろう…
どこまでも「同じ」が続く郊外の住宅地などを歩いているとそんなことを感じます。

下町だって似たような街並みが続くわけですが、世間体を個人で解釈しての自宅ですから、そばに寄ってみればそれぞれに個性的。戦後の宅地開発でも1960年代くらいまでに開発が済んでしまっているところは、そんな感じです。でも、いつからか、僕らは楽チンな「全部出来上がっているフツウ」を愛でるようになってしまいました。

もう、壁材はいうに及ばず、表札まで既製品だし、ちょっとした庭があっても、あるとき「枕木」が流行すれば「枕木」がメイン。これならマンションの一室を購入したって同じだろうと思うような一戸建て住宅が立ち並ぶのが、いまどきの郊外型の住宅地です。
確かに、下町だって、60年代な住宅地だって、1980年代末の「バブル期」に「画一的」に侵食されてしまっています。でも、今でも「面」としてはかつての風情を残し、住んでいる人を想像したくなる個性的だがやさしい住宅が残っています。

今、郊外型の住宅地を歩いていて感じるのは行政と企業の思惑。最近、都心に増え始めたプラモデルのような三階建て住宅にも同様のことを感じます。
でも、そうは思わないという方が少なくないんでしょう。新築物件に実際に人々の暮らしが始まっていきます。

ただ、僕らには、僕らが意識できない「自分もいる」ということを忘れてはなりません。
そして、その「自分」は「不自然」「反・自然」に悲鳴をあげます。

僕らは「意識的に」というわけではなくとも、多様性に背を向ければ、地球からは置いてけぼりを喰らう…
もちろん、置いてけぼりを食らえば、それは滅亡を意味します。

(たぶんね。アレルギーに悩む人が増えたあたりから、僕らは、もっと重篤な危機を認識すべきだったんでしょう)

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