この矛盾

人間は、しばしば「明らかに合理的とは言えない行動」をとる。故に、机上の合理性だけで経済を考えると実際に起こる現象を説明できないし、予測もつかない。だから、人間の行動を「観察する」ことから経済学を再構築しようという試みが行動経済学です。

でも、新・国立競技場の計画がそのまま実施されようとするのも、原発を稼働させようというのも、再び、この国を戦争に向わしめようとするのも「明らかに合理的とは言えない行動」ではなく、特定の人たちにとっては「莫大な利益を生むもの」として合理的であり、僕らが不条理を感じるのは、その人たちにとっては国民はただ税金を払ってくれる虫に過ぎないからでしょう。

ただ、それでも黙って指をくわえている庶民は「明らかに合理的とは言えない行動」をとっているといえるのかもしれません。

なぜ、この「積極的な無関心」とでもいうような状況は生まれるのか…
案外、合理的な説明は難しいのかもしれません。
一人でいる状態と群衆の一員になった場合も異なった行動をとることも同様です。

20世紀は、僕ら人間も「合理的」が前提でしたが、少なくとも「合理的ではない」ということが明らかになってきたのが21世紀です。
こうした人間と、僕らはどうやって付き合っていくのか…

この矛盾をどう制御していくのか。

たんに合理的な正義を貫こうとするだけでは戦争に勝てない…
きっと僕らは試されているんだと思います。

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