潔く、思い切りよく

洗面器にビー玉を落とすと、少なくとも音がして、落とす高さによっては水しぶきが上がるかもしれません。
でも、海にビー玉を落としても何も起きない、数十メートルの高さから落としたって、ビー玉は「海」に呑まれて消えていくだけです。

僕らが「ビー玉」なら、社会や時代は「海」。デカすぎて総体がつかめないし、何が起こっているか「体感する」ことはほぼ不可能です。
「宇宙」もデカすぎて、総体がつかめないから、仮説を立てて総体は推測するしかない…それも相対性理論みたいに数式で表すしかないし、僕らもその数式から「こんなもんなのかなー」と推量するしかないわけです。

「社会の実像」や「社会の移り変わり」も、社会学者あたりの専門家がつくってくれたモデルを頼りに「こうなんじゃないか」と推量するしかない。デカすぎてわからないわけです。

…というわけで

僕らが体感する日常に日毎の大きな変化はありません。きょうは昨日と変わらず、あしたはきょうと変わらない。でも、社会は確実に変化しています。沖罠の台風でさえ関東では体感できないことがあるように。社会はデカすぎて日毎の変化を体感できないだけです。

だから「まだ大丈夫」を決め込んでいると大変なことになる…
ちっぽけな人間が、デカい社会の荒波のピークを避けきれるはずもなく、一日でも早く変化を推量し、変化が微小なうちに対応するしかありません。

裸の自分の今の実力を推し量って、社会の変化を推し量って、あとは潔く、思い切りよく…

これから起こることは、誰にとっても生半なことではありません。

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