「後ろめたい」方向へ向かっていけ

僕の友人に音楽の世界でそれなりに成功した男がいます。
でも、彼はその地位を得ても尚、ときどき、後ろめたくなるのだといいます。
なぜかというと「勉強しないさい!」という親の目を盗み、嘘をついて音楽を続けてきたから。誰もが認めるその道のプロフェッショナルになっても、そのときの感覚が染み付いてしまっているんだそうです。

でも、情報生産時代になると、この「サボって遊んでいる」部分こそが糧になっていく。取り組み姿勢としても、遊びでやっているくらいに力が抜けていた方が「収入」につながりやすいのが情報生産時代でもあります。だから、もしかしたら「後ろめたい」がリトマス試験紙になるかもしれません。

考えてみれば、僕も、この仕事を始めて5年くらいはボランティアというか。世間からの評価に拠れば、この仕事の方が「趣味」だったんだと思います。でも、30年もやってるうちに、その世間からも「仕事」として評価してもらえるようになった…

やってることは何も変わっていないので、僕も「サボって遊んでいる」部分こそが仕事になったクチなのでしょう。

ちょっと視点は変わりますが、経営者としてのキャリアがなくとも、消費者としてのキャリアを活かすことができれば起業できてしまうのが情報生産時代でもあります。つまり、従来だと「ずぶの素人」にカテゴライズされる人がプロになっていくかもしれない…そういう時代でもあるわけです。

「国語/算数/理科/社会」における総合力より、昆虫博士の方が優等生。案外こういう切り替えが効かないのが高度成長期育ちの僕らなのかもしれません。

理屈じゃないんですよね。「後ろめたい」」という感覚…
そして、その「後ろめたい」方向へ向かっていけということが、時代の断層の大きさ、登らなければいけない崖の高さを象徴しているんだと思います。

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