山河破れて、国あり

昭和の「戦前」も、このような状態にあったのかなと思います。

憲法問題はいうに及ばず、原発の事故処理、遅々として進まぬ震災復興、それなのに、あの新国立競技場、そして自民党の勉強会、ここに至るまでの大臣の辞任騒ぎの連続。さらに行政サービスの縮小を旨とする「骨太の方針」、そして増税。どれひとつをとっても内閣の維持が難しそうな問題です。
安倍さんたちには「骨太」で団塊の世代の大量高齢化に備え、世界大戦に参加することで「分配」を期待し、オリンピック景気でこの国の成長戦略的な経済浮揚を狙っているのでしょう。でも、介護負担を担うのは「団塊の世代」ではないし、少子高齢化のこの国の実情があれば、この国を舞台にした儲け話の絵も描きにくい。戦争は言わずもがな、市井には命がけのリスクがあるだけ。

そして被災地はボディブロウを食らうように疲弊していっている…

そもそも1954(昭和29)年生まれの安倍さんは、本来、良くも悪くもスーダラな時代感覚の中に育ったはず。「靖国の御霊」という言葉を常用するということには、かなりの違和感があります。たぶん、安倍さん自身が「誰かが描いたストーリー」の中に生きているんでしょう。半ば被洗脳な感じにあるんで、国民感情などには馬耳東風なんだし、いいように「報告」されてもそれを鵜呑みにしているんだと思います。

(そもそも、ちゃんと報告を聞けても、彼の能力では適切な判断などできないでしょう)

こういう主体があるようでないような状態が、昭和の「戦前」にも生まれていたんだと思います。だから理屈では覆らない。僕らの社会には、学者たちにさえ、解明できていないエアポケットのような状態が生じ、全体を巻き込みながら落ちていく瞬間というのがあるのでしょう。

このままでいけば「国破れて山河あり」ではなく「山河破れて、国あり」な状況になりそうです。
恐らくそうなるのでしょう。

僕らは、どうやって、この局面を乗り切るのか。お子さんがいらしゃる方は特に心配だろうなと思います。
僕らにできることは、できるだけ先を正確に読んで、それに備えることだけ。
時間は限られています。それに対して準備というのはコツコツとしかできないものです。

まずは始めておきましょう。きょうと同じあしたが来るとは限らないと思って。

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