新・国立競技場

代案を示された槇文彦さんや、そのお弟子さん筋にあたる方々だけでなく、磯崎新さんなど、この計画においては「野党」側にあたる建築家のみなさん。そして与党側であるところのゼネコンに属する設計士や営業担当の方まで、また土木関係の技術者の方にまで、この計画への疑義は広がっているようです。
たぶん、この計画には、建築物を実際に設計し施工している人にしか実感できないような「無理」があるのでしょう。そして、その「やってみなければわからない」ような計画に注ぎ込まれる常軌を逸したような予算。そして、このデザインを実現するには短すぎる工期…

この計画を通してしまうか否かは「建築界」にとって、まさに「岐路」あるいは「分水嶺」にあたる大事なんでしょう。建築の門外漢である僕らには実感できない危機感があるようです。

建物をつくることに関わるあらゆるジャンルの人がひとつの方向に向かいはじめています。

でも決定権を握っているのは「建築の素人」。正論が通じない「もどかしさ」。そして、世界が明らかにコンパクトな開催にシフトしていく中で、これからの少子高齢化時代の困難さを全く顧みないようなスタジアムをつくろうとしている。すでに航空機の時代に入っていたのに世界に冠たる巨艦をつくったあの頃の日本のようです。

そして、あの頃のような悲劇的な最後が待っている…これは自明の理です。

だって、僕らの日常でもそうでしょう。無理を力で押し切ってもいいことはない。一時上手くいっても、その後には反動がきて、その反動は「倍返し」「三倍返し」。

あの頃も戦争を礼賛していたというより、自分たちの命に関わる大事だという認識がなかったのでしょう。それは「大本営」のせいとばかりはいえません。こちら側の「勉強しよう」という意欲の持ち方の問題でもあります。

いずれにせよ。これから昭和16年であり、これから昭和20年なのだと思います。
今度は「災禍」のかたちがどういった実像をともなうものになるのかは見当もつきません。

ただ、戦後復興はあの頃と違って、遅々として進まぬものになるはずです。

あの頃は工業生産時代で、敗戦後間も無く「団塊の世代」が生まれ若い世代の人口が爆発的に増加していった。それに対して、これからは少数しか生産者になれない情報(知価)生産時代に入り、そして「団塊の世代」が大挙して後期高齢者になっていく…

この計画を通してしまうか否かは「建築界」にとってだけではなく、この国の将来にとっての、まさに「岐路」あるいは「分水嶺」にあたる大事なんでしょう。

そう思います。

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