近づきたくない感じ

「マスコミを懲らしめる」ですか。
きっと党のいうこと(処罰)には従うが、一意見としては「正しい」ぐらいに思ってるんでしょうね。そういう人でなければ冒頭のようなことは言わないもんです。一方、百田氏の発言をたしなめるような指摘に対して「言論の自由」を持ち出す人もいるみたいですが、こういうことまで「自由」っていわれると、いわゆる「二の句が継げない」状態です。ホントに言葉が出てこない…

だからといって、かつての左翼運動の影が付きまとう人々には、僕が子どもの頃に横行していた「内ゲバ」のイメージが重なってしまって気持ちがすくんでしまうんです。もちろん、直接的な因果関係がないのは充分承知してるんですが、手法があの系譜にあるようにみえるだけで嫌悪感に取り憑かれてしまう…
なにしろ僕が小学校の高学年から中学性だった頃にかけては凄まじかったですからね。
例えば市ヶ谷駅の近くの路上で撲殺事件があったり、満員に近い状態の学食で殺人事件が起こったり、つまり衆人環視の中でどうどうと殺人です。赤軍のリンチ殺人事件は、そのプロセスからして凄惨でしたし、大学構内で50人対70人みたいな乱闘があったり、国際反戦デーなのに新宿破壊したり…企業の連続爆破事件もありましたしね。

あの10年くらいがトラウマみたいになってしまって、どうも耳を傾ける気になれないんです。

だから政治家さんとか、その関係者に近づきたくない感じなんです。実際、市井でかいま見える部分では「右」にしても「左」にしても「案の定」な感じがありありですからね。

だから、なんだかヘンな言い方ですが「政治は一人でやろう」って、そう思っちゃうんですよ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中