ハイカルチャーとロウカルチャー

この歳になって思うのは、ハイカルチャー志向とロウカルチャー志向、二つの間には深くて暗い川があるということです。

両方とも農村社会を後にして都市に居場所を求めるしかなかった人たちの文化です。つまり、農民でも貴族でもない、根無し草で名無しのゴンベイさんたちが「自分たちのアイデンティティを求めて」までは同じですが、ハイカルチャー志向の人たちは貴族社会に倣おうとしたし、また同化しようとしました。
典型的には、アメリカン・ドリームをかなえて富豪となった人たちがイングランドの貴族たちに娘を嫁がせて爵位を求めていった、あれということになりますが、投資先という意味ではまったく魅力を失っていたはずのイギリス貴族の列に(彼らの膨大な借金までを肩代わりして)列せられることを望みました。

(というわけで、あらかじめ産まれながらの貴族文化を持つ人々のことハイカルチャー志向とは言いません)

一方、ロウカルチャーは街場の文化です。都市にいながら「ふるさとのことを懐かしんだ人々」が、ふるさとの民謡を口ずさんだ…その民謡が混じり合って、新しい「都市のフォークソング」を生んだという感じのものであり、都市に生きる労働者たちに等身大の文化です。もちろんフォークソングだけじゃなくジャズだってそうだし、ヨーロッパのコンチネンタル・タンゴが、アルゼンチンに行ってアルゼンチン・タンゴになるなんていう植民地文化もロウカルチャーです。

従来に沿って考えると、富豪ほどハイカルチャー志向で、また、その富豪に憧れる人もハイカルチャー志向。その一方で、貧乏人はロウカルチャーって感じです。でも産業革命の先輩格で、つまり「農村から都市へ」の先輩格でもあるイングランドでは、近年、富豪の末裔たちが自ら進んでハイカルチャーを捨て、ロウカルチャーに安住の地を求めているという傾向も確認されはじめました。

どちらも都市人の文化で、それなりに影響も受け合っているのに、それぞれの受け手は、まるで異なった志向を持っている。
両者ともに農村に居場所がなかった人たちなのに、一方は農村に君臨する貴族の一員になろうとし、一方は都市の自由さを謳おうとした…

解るようで、やっぱり解らないかな。

どっちも人間らしいともいえる。

でも、同じ屋根の下には暮らせないかな。まさに水と油って感じでね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中