ホントに一人の人格が就業時とプライベートをビシッと分けて生きていけるものなのか…
僕にはそのメカニズムがわからないんですね。たぶん、子どもの頃からそうです。
うちのオヤジは職人だったので、職人が映画を見て、職人が夕方の浅草をぶらぶらし、職人が仲間たちと旅行に行くという感じで、明らかに仕事とプライベートが不可分な感じでした。だから旅行とはいっても高原の空気を吸いましょうみたいなことはなく、神社仏閣の細工に感心し、子どもを連れて行くにも博物館です。仲間たちとの温泉旅行も半分は色っぽくても半分は仕事の段取りについてのツメだったようですし、確かに仕事が中心にあっての人生でした。
でもオヤジは職人として街文化の一角を担っていることにプライドを持っていましたし、僕の映画や音楽の素養の最初は彼からのものです。だから、仕事中心とはいえ、決して無味乾燥した人生ではなかったと思っています。
同級生の会社員の息子たちには、こういうオヤジがワーカホリックみたいにいわれてたんですが、述べてきたように僕には「依存症」みたいには思えませんでした。むしろ、5時まで会社員でタイムカード押したとたんに業務とは縁もゆかりもない「私人」みたいなことが可能になる人の方が病気みたいに思えていましたし、その「私人」の部分もゴルフな人生で「人間関係が会社の中に閉じてる」分だけ異様なものに写っていました。
そして、お母さんは居住地域にいてお父さんの仕事を知らず、たぶん、お父さんの話を聞いたってチンプンカンプン(社内結婚でも当時の女性は本格的な業務からは蚊帳の外だったですからね)。これで、どうやっては夫婦が会話するんだろうと他人に家庭ながら心配になったものです。
つまり、僕は、かなり早い段階から高度成長期な「フツウ」に乗れなかったというわけです。
オヤジの家もオフクロの実家も、どっちも空襲の被害にあわず、戦前が冷凍保存されたような街でしたからね。そのレアさが災いした感じもありました。
でもまぁ、その災いも今は宝だし、54年生きてきて、やっぱりオヤジたちの方が正しい…というか。人間にとってオーガニックな気がしています。誰がどう見たって、貨車に詰め込まれて収容所に送られるように仕事に行くよりは、歩いてか、チャリンコ転がしてすぐの方がいいわけですからね。
職住一体か、近接の方がたぶん家庭も平和です。
そのうち、あの時代はいったい何だったんだろうっていうことになるんだと思います。