今となっては当時のドイツ国民がなぜヒトラーに未来を委ねたのか。合理的な説明をつけることはできないでしょう。
ただの「無知」がそうさせるのではなく、多数決の多数は酔わされたように「非合理」の道を命を賭して歩むことがあります。
「みんな」についていくことが安心の源ではありません。
そして、社会を破滅に追いやる判断や行動を、どうどうと「みんなのための正義」だと主張する人もたくさんいるのが世の常です。教育も政府や自治体が主導するものである限り、学校教育は、その「みんなのための正義」に加担します。
何事も性善説にたつべきではないのかもしれません。