研究しているうちに、それは過去のことになる

今、阿武隈山系に入って、放射能による鳥類の生態変化を実証しようとしている学者さんは、定点に集音マイクを仕掛けて、鳥たちの鳴き声を採取し、きょうは、この鳥の声が聞こえたと記録をつけるという地道な作業を続けておられます。

この作業を最低でも3年ほどは続けて、やっと「影響があった」ということを実証する…科学的な作業とはそういうことのようです。

飯館村に暮らす鯉。その免疫系への影響を調べている学者さんは、条件の違う3ヶ所の池で鯉を採取し、また池底の泥を持ち帰って調べます。もちろんセシウムに汚染されています。飯館村の事例と比較するために栃木県のある池をサンプリングしますが、この池の泥中のセシウムはゼロ。そして、この池の鯉と飯館村の3つの池の鯉の白血球の数を比較すると、明らかに飯館村の鯉の白血球の数は少なくなっている。でも、先生は、これだけではまだ科学的な見立てはできないといいます。比較対象、サンプル数をもっと増やさないと「たまたまそうなっただけじゃないの」とか「放射能の影響じゃないんじゃないの」という反論に抗弁できないんだといます。

たぶん科学者たちは、たぶん学説としての見解が違う人でも認めざるを得ない客観的な事実を結論として導き出すために努力をされているんだと思います。

自然科学にしろ、あるいは行動経済学の分野の方にしろ、観察対象の生態や行動から何を明らかにしようという学者さんたちについては素直にリスペクトしています。高濃度汚染地域に分け入って観察を続けられている方がいらっしゃると聞けば尚のことそうです。

たぶん、リアルな実施計画も含んでの社会政策をデザインすることまでを学者さんに期待する方が間違っているんでしょう。やっぱり、学者さんには人間関係の中での力学、かけひきなどとは離れたところで研究していただくのがスジ。政治学者にでさえ「リアルな実施計画」の立案を期待するのは難しいのだと思います。

なのに「専門家員会」「検討委員会」で、リアルに進行形な施策について意見を求めてしまう。こういう間違いがあって、さらにテレビのワイドショーが「なんでもござれのコメンテーター」を期待し、世間の誤解を広げる…

そういうことなのかなぁーと思います。

学者さんに教えてもらうことは少なくとも「近過去」のこと。現在のことは同時代すぎて研究できず(研究しているうちに過去のことになり)、未来のことは「予断」です。

学者さんの全ては歴史学者のいうなものだと思えばいいのでしょう。そうすればツジツマが合ってくるように思います。

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