「フツウ」に属している価値

まだまだ組織的な生産が生活の糧を得る手段のスタンダードだったら「みんなで」「フツウ」に属している価値もありますし、また、そのための努力もすべきなんでしょう。でも「フツウ」な発想を集めてブレインストーミングしたところで、衆議が一致するところは個人より平板な意見。逆にいいアイディアを出すようなユニークな人材は組織的なチームワークには馴染みません。つまり、知価といえるような情報を産み出すのに組織は無力。「私」とコンピュータの方が、より効率的であり機動力もあるのです。

ただ、私をありのままに開放してやればいいってもんじゃありませんが、横目に「フツウ」を観察して、それに同化していこうとするより、多少浮き上がっても自分の個性に忠実な方が「これからの時代」っぽいとは思います。

政府や自治体の福祉施策を待っているわけにもいかず、それぞれのセルフサービスが主にならざるを得ない時代に入っていくということも「みんなで」「フツウ」に属している価値を失わせてゆきます。

若い人こそ、自分の個性に自由になった方がいいし、自由を確保してやれるように努力した方がいいと思います。

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