きょうは東京都内でも湿度80%を超える日でした。
今が1945(昭和20)年なら、沖縄戦は今が激戦の渦中です。
あのひめゆり学徒隊に突然の解散命令が出るのは6月18日。沖縄で現地召集された14〜17歳の少年たちによる鉄血勤皇隊に解散命令が出たのは6月19日とされていますが、軍の防衛もなしに少年少女が戦場に放り出されたも同然の仕打ちでした。
勤皇隊の兵士だった少年が最後の配給となった米を炊いて食べた時、その米は赤飯のようだったといいます。米を炊くにも水がなく、米を炊いた海水は海岸近くを漂うおびただしい死骸から流れ出た血液で赤く染まっていたと…
ひめゆり学徒には「ふと横を見たら、さっきまで話をしていた友人が内臓を飛び出させて苦しんでいる」そういう記憶を持って戦後を生きてこなければならなかった人もいます。その方に、僕はなんと声をかけていいのかわかりません。
叔父貴は、1945(昭和20)年の3月に北の海で死にました。米海軍の潜水艦に撃沈されました。叔父貴は最期にどんな風景を見ていたのでしょう。今もそんなことを考え始めては胸が締め付けられるような思いにかられることがあります。
沖縄のみなさんにとって、ただの5月ではなく、ただの6月ではないのかもしれません。
僕は、そうしたことに無関心ではいたくありません。
何もできなくとも、戦争のリアルを知ろうとすることだけはやめたくないと思っています。
血で赤く染まった海水で炊いた米を食べなければならなかった少年たちがいたことを知れば、少なくとも戦争にアクセルを踏み込む気持ちにはなれなくなるはずですからね。