僕らは「人間」である前に「人類」という動物なんでしょうね。それがリアル。僕らが「人間」らしいって思っているのはたいていがフィクションで、人類が構想した「かくあるべき」みたいなイメージを演じているだけなのかもしれません。
たぶん、あの氷河期を生き抜くために、リアルな自分たちにはなかった「毛皮を着きる」ということを構想し実践した…そういうことが上手くいってしまったものだから、生き残った人間は、自分たちが創り出したフィクションを絶対視するようになったんでしょう。
でも20世紀あたりから、明らかに、そのフィクションは「行き過ぎ」の段階に入っていったわけです。
判りやすいのは「原子力」。戦争だって第一次世界大戦で、毒ガス、戦車、飛行機が登場し、第二次世界大戦では無差別爆撃の果ての原爆投下。ただこうした戦争を決した為政者たちだけじゃなく、僕ら市井の民も「反・自然的」ともいえる便利と快適に溺れ、いたずらに「長生き」を謳歌してきました。
人類なんて裸の猿です。しかも今や先進国などと持ち上げられている国々の人々は、弱すぎてアフリカ大陸に居場所を失った猿の末裔です。
楽して何か得をしましたか? 余った時間で何ができましたか?
ただただテレビショッピングに在庫処分品を売りつけられ続けるような人生じゃありませんでしたか?
もう背伸びするのはやめましょう。
背伸びした結果が殲滅戦であり、胃瘻で観葉植物のように生かされている未来なのです。