実力あるカリスマより

江戸時代の武士は、将軍の個人的な力量に関わらず「武士道」という倫理観によって統制されていたのでは…という見方があります。だから将軍や大名が多少「難アリ」でも、まぁまぁ安定感がある社会を実現させることができたと。

なるほど、人の力量を待つより「無人の」の方が現実的ということですか。もしかしたら法治国家っていうのもそういうことかもしれませんね。

確かに「朝市」みたいに生産者の直売みたいな催しだと、香具師みたいな親分さんの人間力は不在な場合が多いですね。みなさんが出店料を支払うと、同じ面積の「出店場所」が与えられて、場所決めは「くじ引き」。「四角」の内側は「私」で「四角」の外が「公」。返すときは「『私」の部分もキレイにして」返す。親分さんがいなければ権力者も生まれようがないから、依怙贔屓もないし、怯えなくてもいい。
そして「お客さんの目」という存在が大きい。やっぱりキレイできちんと整頓されている店のものは売れていくし、だらしないところは売れない、売れないからやがてはその人も出店しなくなってレベルはハイ・グレードにキープされる。

やっぱり権力でも規制でもないんですね。そういう能動じゃなくて、自然の流れに沿った方便を施すことなんでしょう
実力あるカリスマより、オーガニックで老練な枠組みをデザインすること。
そのあたり、僕らは昔の人より、ちょっと幼いですかね。

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