LABOR

いまどきは、ある程度のグレードのマンションになると、植栽はじめ造園な部分にも、それなりに力が入れられています。もちろん、管理費からそれなりの予算が投じられているのでしょう。それなりに手入れもされています。でも大半は、いかにも「これ、仕事でやってるなだけだな」というもの。誰かが図面上で植物の配置を考え、誰かがその指示に従って植え込みをし、季節が巡れば余計な雑草を抜き、ライトアップのLED灯が切れれば、それを換える…そんな感じ。誰も植物が好きな人が関わっていない。散歩してて出会うたいていが、そういう「造園」です。

昔でいう公団住宅になると、6月が来る前に、風情もへったれもなく、電動の丸刃であたりをボウズにしていくだけ。もともと植えられている「ああ、これ厄介なんだよな」という蔓性の植物の根はそのままなので、すぐに元に戻るという状態。都心の中小マンションでは枯れかけのツツジなどが、花をさかせても誰にも顧みられることもなく、見事なまでにグンバイ虫の餌食になっています。

そんな街中を散歩していて「植物」と話をするように手入れされている「草花」たちに出会うとどんなにホッとすることか。
クルマが頻繁に通る道沿い。庭と言えるほどの土もない下町の家に、きれいに段がしつらえてあって、健康そうな草花が並んでいる。家の外周にぐるりとベゴニアが鮮やかに咲いている…。デザインなんてどうでもいいや。大切なのは「草花の生命が薫っているか、どうかだ」と思います。

仕事は生活の糧を得るための手段だし、仕事をする、その人のために「楽しいもの」「楽チンなもの」であれば尚いい…

そういう考えが、僕らがそれと意識する以上に横行しているのでしょう。生活の糧を得るためには客の注文は聞く。でも植物は納品する部材。植え込みはサービス。でも、植物は「生きている命」ですからね。突き放したようにモノとして扱われていることがわかりやすく反映される…

植物だけじゃないんでしょう。まだシステム的なマニュアル・レーバーが汎用される以前は、街角にも職人たちの技能が薫り、彼らによって我が子のように大切にされた機械部品が、その街角に命を吹き込んでいたものです。
口にするものだって、今はたいていがプラモデルを組み立てるようにつくられている。たいていのハンバーガーは消しゴムを噛んでいるように味気なく、人の手のぬくもりを感じることができないものです。

確かに、この国は「おもてなし」の国かもしれませんが、はたして業務消化な感じで「おもてなし」が継続できるのかどうか。

でも、ああやって報道されれば「できている」と思い込みますからね。
いずれはマニュアル・レーバーな「おもてなし」に違和感を感じなくなっているのかもしれません。

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