以前には「建築家に設計を頼むと住みにくい家ができる」っていう俗説がありました(もちろん、街場の話です)。
ひとつには「建築家」とか設計士さんが独立した職業としてみなされるようになったのは、案外、最近のことで(1964年開催の東京オリンピック前後)街場では違和感が先行していたということがあるでしょう。
建築設計に独立した職業名刺が与えられる以前は、実際の建築に関わる人材の確保やキャスティング、材料の調達までを一貫して「大工の棟梁」が担い、設計にあたる部分は、お施主さんとのやり取りによる「口立て」だったともいいます。僕らはちゃんと図面を描かなくてどうするんだと思ってしまいますが、特に街場ではかなりの規模のものまで「口立て」だったといいます。
(ただし、天平、白鳳建築を手がけた大工たちには図面があったようです。戦乱でその系譜が途絶え、アマチュアが専業化した「野大工」が、この国の大工の主流になってからが「口立て」的になったのでは、と言われています)
そもそも街場では、理屈っぽいのは嫌われますからね。街場のコミュニケーションは「右脳」「感性」が主役で、その話法に従った方が信用してもらえます。
でも、今は、街場もそれなりに理屈っぽくなりました。ただ「建築学の理論に裏打ちされた建物デザイン」を理解できるほどではありません。また、いつの時代も理論は未完で、僕らの「居心地」の全てを描写し、モデリングすることはできていません。
今も「建築家に設計を頼むと住みにくい家ができる」という俗説が生きているとしたら、それは施主側も建築家、設計士さんたちも自分たちの現状に閉じこもっているからでしょう。
よくあることですが、埋めがたい溝です。
こういうことを越えていくのがコラボレーションなんでしょうが、そうしたことを成功させるために必要な「お互いの忍耐力」という条件を整えられない現場もあるのでしょう。
でも、コラボレーションすることが健全なら、案外、時間が解決してくれるものです。