例えば日本年金機構などは全国一律なマニュアル・レーバーを徹底することで、確かに「集約的」を担保できるんだと思います。扱うモノは「お金とデータ」。数値と論理でほとんどすべてが賄える業務ですから、熟練の技能を習得するというよりは「慣れ」でしょう。
でも「食」の分野にまでマニュアル・レーバーを持ち込んだことが果たして「集約的」だったのかどうか。「住宅」づくりなどの分野もそうです。
確かに「安価」をつくるのにマニュアルの導入は有効だったのかもしれませんが、その安価で得られるものが「似て非なるもの」だったら…
そうでなくとも、マニュアルどおりにつくることしかできない世代が次の世代を指導するとき、技能の継承は不可能になってしまうでしょう。なにしろ、箸は使えても、その使い方を言葉で説明できる人などいないのです。手業の多くは数値にも論理にもできず、つまりマニュアルに仕立てることは不可能です。
「誰もができる」「簡単にできる」「わかりやすい」を美徳にしてきた…そういう時代をそろそろ反省する時期に差し掛かってきているように思います。