裸のヨコハマ

ヨコハマの景観。それを構成するひとつひとつの建物をデザインしたのは東京の人や会社です。同様にテレビや映画の中の、カッコいいヨコハマやおしゃれなヨコハマのイメージをつくったのも東京の人や会社です。こういうことに地元に永く暮らすヨコハマ人はほとんど絡んでいません。開局当初、つまり「more music less talk」な頃のFMヨコハマを主導したのも東京の人。すぐに追われるようにヨコハマを後にされ、その後は東京でご活躍でした。
ハマトラも、そのプロトタイプをつくったのは、あの雑誌「JJ」。ホンモノではなくイメージとしての「フェリスに通うお嬢様」が「元町でコーディネートしたら」というタイアップ的なもので、しかも、あれは1970年代末のこと。以後、ヨコハマから「ハマトラ」に匹敵する流行現象は発信されていません。

そうした中で、中華街だけは華僑のみなさん中心かもしれませんが、ヨコハマ・オリジナルな情報です。というのも、日本人から見た中華イメージは「カオス」な感じが魅力。ごちゃごちゃがよく、悪趣味が美学、洗練とは無縁の方が喜ばれる…

だからヨコハマ・オリジナルでなんとかなったのだと思います。

開港以来、ヨコハマ・ハイカルチャーな人たちは、いっときこの街にいると東京に引き上げてしまうもの。永くこの街に暮らしているのは、故郷に帰れぬ事情か、経済力を持たない田舎者たちです。

だから、お客さんたちが景観やドラマの中の「ヨコハマ・イメージ」のリアルを求めて、この街の店に入ったら、その店は田舎者の店だったという、絶えずそういう「がっかり感」を与えてきたんだと思います。同様に「イメージ・ヨコハマ」を真に受けて、ここで起業したり、あるいは「おしゃれを修行しよう」と、この街に来た人も、短時間でいなくなりました。

それでも、この街に経済力があった頃は、田舎者ゆえにフィクションをホントに生きちゃうような面白い人たちを生息させちゃう「ゆとり」があったんですが、今はそれも昔の話です。

でも、ヨコハマの地元民たちはまるで、今もって、そういうことに気がついていません。
たぶん、自分たちを俯瞰して眺めることができないんだと思います。

東京に人たちだって、もうに港町でもない。進駐軍もいない横浜に魅力は感じていないでしょう。ここ数年の「横浜発」はスポンサー先行のお仕事。つまり「昔の名前で出ています」をさらーっとなでたヨコハマガイドなものばかりです。

…というわけで、ヨコハマも暮れゆく。先は見えています。

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