負けを認められるかどうか

明らかに負けは見えているのに無理に戦争を継続しようとする。様々な特攻兵器や玉砕の悲劇はそうしたことによって生み出されたのではないかと思っています。
僕は「最後の一兵」まで戦いを継続しろと命令する戦争指揮者(現地の指揮官という意味ではありません)こそ卑怯者だと考えています。

さて

僕らの日常でも
今、大きく時代が転換する中で、なかなか敗北を認められず、ずるずると勝ち目のない戦いを続けている人はいるのだと思います。もちろん負けを認めることも、責任を取ることも、戦後を設計することも、辛くて難しいことです。でも、負けを認めて、次の行動に出ない限り、いたずらに犠牲を増やすだけです(確実に犠牲は出ます)。

30年以上の会社員というキャリアを捨てて未知のフリーランスという世界に飛び込む。親子代々続けてきた商売をたたんで新業種を目指す。まるで昭和20年8月15日、以前と以後をいくような…

でもね。判断が遅くなればなるほど、自分の資産は焦土と化し、ゼロはおろかマイナスから「戦後日本」に放り出されることになります。

仕方がない。明日を見つめましょう。怖くたって明日は確実にやってきますからね。

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