「思う」と「考える」

デジタル「スーパー大辞林」は「考える」の第一に「物事について,論理的に筋道を追って答えを出そうとする。思考する。」という語釈をあて、第二に「さまざまなことを材料として結論判断評価などを導き出そうとする。」をあてています。
つまり、それなりに勉強してちゃんとした知識を身につけない限り「考える」ことはできないのであって、ただ自分の感性に聞いてみるような作業は「思う」であって「考える」ではないということです。

こういうこと。街場ではあんまり正確に理解されていなくて、「思う」と「考える」はしばしば混同され、私的な「思いつき」が「考えた結果の結論」に置き換えられてしまっています。
そして、このことが、ずいぶん現場を混乱させている…「自分には豊富な経験がある」と思っているベテランなど、声が大きな人がこうだと、現場の混乱も極みになり、やがては停滞と諦めを生んでいきます。

ホントは「考える」前に「知識」です。それからでないと考えられないはずなのです。
情報を仕入れる際も「自分の興味」や「共感」に任せずニュートラルにいたほうがいい。自分が面白いと思う本ばかりを読むことはすでに「思う」の始まりだからです。
同様に面倒くさがっても「考える」には行き着きません。また、感情的にならないことも重要でしょう。気分の良し悪しで判断し始めたら、それはもう「思う」以外のなにものでもありません。

あなたは「考えて」いますか。それとも「思って」いますか。
だいたい自覚できると思いますが、「思う」で判断していくと、その判断に自分が翻弄されるでしょう。

しょうがないから面倒臭い勉強をして「考えられる」ようになりましょう。僕も一生懸命、挑戦しています。

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