「白と黒」ほどの違い

1945(昭和20)年の8月14日と8月16日の間にはやっぱり大きな断層があったようです。
空襲は免れていたものの、同じご町内の3丁目が占領されてしまったオフクロの家はとんでもない状況だったでしょう。

でも、どうやって、その「断層」に対応したのか、そのノウハウ部分はおぼろげです。僕が聞いているのは「ホントにたいへんだった」という「思い」が主です。

「隣組」という行政監理下のコミュニティ組織があり「鬼畜米英」な時代から、いきなり占領軍の価値観へ。どう戸惑って、どう順応していったのでしょう。うちのオフクロも当時は小学生だったわけだし、大人たちの話を聞いてみたかったなと思っています。

前の時代の社会と後の時代の社会の間に「白と黒」ほどの違いがあり、その黒と白とがとんでもないスピードで転換していく時代。その時代の庶民の体験と対応を知りたい…

なにしろ、昭和30年代くらいから「永い太平」でしたしたからね。
しかも、状況に無理して今も「永い太平」の延命を図っている…

こういうときはボロボロになった後にゴロンといくものです。
あのとき、国費の大半を投じて造った兵器を藻屑にし、日本中の都市が焦土と化した上で、敗戦となったように。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中