坂道を登っても、それは登山ではない

「今しかできない」。今やらないと「やっても意味がなくなる」そういうことがあります。
社会的なことにしろ、個人的なことにしろ、数ヶ月、数年と放置しておけば取り返しがつかなくなることというのは確実に存在します。

でも、そうとは判っていても、その山が登れそうもないなと思えば「まずは登れそうな山から」となる…それがレギュラーな感じでしょう。

ただ、人生、50年以上も生きてみると、登るべき山のたいていが「登れそうもない山だ」ということに気がつきます。

本来、登山すべきなのに坂道を登ってよしとする。いいわきゃありません。
しかも、いつしか、登るべき山があったことも忘れて「坂道」で登ったつもりになり、「坂道」だからこそいくつも登れて悦に入ってすまうこともある…

「少年老い易く学成り難し」の所以です。

いまどきは高齢化社会を反映して、50歳を過ぎても少年のように扱われる現場も多いので「学成り難し」を実感せずに、いつまでも少年のように坂道だけを登り続けていることも不可能ではありません。

実際、この人、大丈夫なんだろうかと心配するほどの少年は中高年に多く、本来は指導的立場にあるのに、気持ちよさそうに一兵卒でいる人も少なくありません。

(もちろん、一匹狼の独立愚連隊ならいいんですが)

繰り返しになりますが、たいていの山は誰にとっても険しい。そこにルートを開いてこその「経験者」だと思うのですが、僕らで20代、団塊の世代だと不惑にならんかとした頃が、あのバブルの狂乱。先輩たちが苦労してつくってきた「高度成長期」を空気のように思ってしまい、子どもの頃から「ぬるま湯」がスタンダード。

この乱世になぁ〜と思うのですが、だから乱世になるのかもしれませんね。
ひたすら申し訳なく思います。

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