知ること

東北の稲作文化は、奥州藤原氏を滅ぼした後、占領軍として入ってきた関東武士団によって押し付けられたものという見方が定着してきました。
今では雑穀にカウントされてしまうヒエ、粟など、東北地方の気候風土によくあった農産物を中心に、海の幸、山の幸も豊かに育まれてきた食文化。そうしたものをよく理解もせず、気候に合わず食文化としても低水準だった「関東の」を東北地方に押し付けた関東武士たち…

つまり、江戸時代や昭和に至る度重なる東北地方の飢饉も、実は「人為によるもの」だったという考え方。
関東者にはショックな話しですが、どうやら、ある程度のリアリティを持った「研究の結果」ではあるようです。

藤原三代に至るまで東北地方は金輸出やラッコの毛皮、オオワシの羽などの特産品の輸出によって得られた潤沢な資金によって、当時の「京」を凌駕する文化を誇っていました。マルコ・ポーロが描いた「黄金の国」は、まさにこの頃の「東北地方」のこと。その頃の関東は農業の技術水準も低く、政治文化も未成熟で小競り合いを繰り返しては疲弊していくという「後進」の状態にありました。

彼らが武力によって東北を平定し、東北の文化を否定し、稚拙な自分たちを押し付けた…
東北地方には奥羽越列藩同盟の敗北による「白河以北」に始まったことではない長い被占領の歴史があるようです。

トマ・ピケティ氏は「少なくとも過去500年くらいの歴史を踏まえた上で現在を考える」を提案した人でもあります。
彼の視点を借りれば、菅原道真存命の頃から津波被災に悩まされてきただけでなく「征服者の無知なる思惑」も、今日の東北地方の現実に反映されているようにも思えます。

そして、そのことを踏まえた上で、東北地方のこれからを考え、それぞれの生活の場から実践していくこと。

与えられた物語に酔っていてはダメなんだと思います。

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