闘わない闘い

難しいなと思うのは、仮に10万人の大集会を開いても、毎晩のようにプロ野球やサッカーが数万人の観客を集めれば、10万人という人の集まり方にもさほど驚かなくもなり、また1億2千万人以上の総人口を抱える国では、ごくごく少数の賛同者による集会に過ぎないとされて、なんとなく論拠があるように思える…。ホントは数万人もの人々が声を合わせて何かを主張するということを看過できようはずもないのですが、マスメディアが目をつぶれば尚のこと、少数の戯言のように映ります。

そうでなくとも、今は自分が受け持つ範囲以外には関心を持たなくてもよかった工業生産時代の残照のような時代。たまたま同じ電車に乗り合わせた彼女にとって僕は「路傍の石」。彼女はスッッピンから化粧を始めます。そういう意識の中で、沖縄のみなさんの切実な訴えはショッピング・モールに流れるBGMのようなものなのでしょう。そして、彼女に悪気はありません。

彼が引っ張りハンティングなRPGに夢中になっている間に彼の人生にきしみが生じているかもしれない。でも、彼にそのことを説明し、わかってもらうのは至難の技。ホントに話しかけでもしたら、たぶん、こちらが変質者です。

たぶん、思う人が、それぞれの生活現場で「たった一人の闘い」を展開するしかないでしょう。
それしかないかなぁと思います。

もちろん「闘い」とはいえ暴力をともなうものではありません(ともなったら、ただのテロです)。生活文化な闘いです。自分の思う暮らしぶり(生活文化)をできるだけそのままに体現すること。「私の思うところ」ではなく「私としての『公』」を実践していくこと。

(そういう意味では「闘わない闘い」でもあります」

でもね。インターネットのある時代なんだということを考えれば、それでも、それなりに海路の日和はあるのだろうと、最近の僕はそんなふうに思っています。

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