たいていは「社会の幸福」より「自分の幸福」です。「わかっちゃいるけど、やめられない」という部分もあります。
でも「社会の不幸」は、案外「自分の不幸」に直結しています。当然といえば当然のことです。
確かに自分の日常は平和そのものです。無関心でも大丈夫そうです。社会は大きすぎて、今、どういう状態にあるのかがわからない…全容が掴めないというところもあります。
でも、ひしひしと忍び寄る気配があることには、たぶん、多くの人が気づいています。
僕らはすでに流砂の中に脚を突っ込んでしまっているのかもしれません。
確かに、そのことすら漠としているわけですが「わからない」と放置するわけにもいきません。
頑張る必要はありませんが、生まれてしまったら生きようとあがくのが命ですからね。
僕にも「幸福に生きていってくれ」と思う人はいますし…