自分の思うところが「世界の常識である」という論法とか、たんに相手が気に入らないとかではなく、ああ、ホントに間違えてるな。公に照らして適切じゃないなと思っても、相手の気分の悪くなるようなことは言わない…
世渡りに必要な方便ではありますが「まちがい」が野放しになることも事実です。
会社勤めの世界でも、世襲が横行する利権的な世界でも、何年、何十年と構成員の入れ替わりがなくなれば「相手の気分の悪くなるようなことは言わない」どころか、相手を褒めまくって本音は言わないのが無難ということになります。
でも、だからこそ「裸の王様」が生まれやすい環境にあるといえる…
しかも、一人二人ではなく、みんながみんな、それぞれに「裸の王様」になりやすいという…
考えてみればとんでもない状況です。
ホントは、各人が無用の壁を立てずに批判しあえるような関係がいいんでしょうね。
それぞれが「主観的に」ではなく、客観的に「公に照らす」能力を持ち、思いやりを持つことができれば可能になるのかな。
なんか、書いてるだに前人未到な気がしてきましたが。