夢が肯定される限り

夜中にかなり大きな仕事が片付いてしまったりして、我ながら戸惑ったりしています。
今は、夜中の午前3時にデパートで買い物ができるがごとくだし、帰宅途中の電車の中でも買い物ができます。映画もマンガもゲームも掌の中にある時代。見事な泣きっぷりの地方議員の話題を、その日のうちに地球の裏側に暮らす人々が知っている時代でもあります。

かつて、Leicaのカメラのカタログを取り寄せるのに1ヶ月。在庫を問い合わせて1ヶ月。発注出すのに1ヶ月。手元にするのにさらに1ヶ月という時代があったそうです。
そういった時代なら、労務も等身大だったでしょうが、ここのところの原油安のように「瞬く間に状況が変化する」がスタンダードになってしまった今、判断も条件反射の如く、業務になれるまで時間をかけるゆとりもなく(半年前の常識が通用するかどうかわかりませんからね)就業者はいやおうなく「きょうから常在戦場」で、生きてる間は「常在戦場」です。

(近く「年間予算」を決めて、それを基準に業務を行うことなんて無意味になっちゃうでしょう。だって1年なんて長期に「状況が変わらない」なてことは、すでにありえないからです)

この状況、自然か不自然かで言ったら、ぜったい不自然なんですが、人間の頭の中に描いたフィクションを現実にしようという夢が肯定される限り、この暴走も止まらないのだと思います。

消費者としての「わがまま」が聞き入れられ続けるということは、就業者としては、その「無尽蔵のまがまま」を聞き続けなければならないということです。

消費者としての自分が就業者としての自分の首を絞める…

不自然って、やっぱりアポトーシスな感じなんですね。

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