大都市の寂しさ

都市は、農村社会に「いられなかった人」によってつくられた場所です。次男坊、三男坊で、継ぐべき田畑がなかったとか、村の掟になじめなかったとか。ヨーロッパでも日本でも、特に大都市はそういう人たちによって形作られていきました。
産業革命のとき、ロンドンへの呼び水は「白いパンが食べられる」だったそうです。江戸への呼び水は「白いご飯が食べられる」。そして、日本の戦後…大都市は、いっとき、村から大都市を目指す少年少女を「金の卵」と言ってもてはやしました。大都市は労働力を欲していました。知恵者が「村」に取材して、都会に出ていきたいくなるような「呼び水」をデザインして彼らを誘い、送り出す方も、彼らの仕送りという予定外の収入を当てにすることもできたし、最低限、余剰人員の整理はできた…負けはなかったんだと思います。

一方、大都市は元来が投機的だから、どこの都市だってアメリカンドリームな匂いがします。村方に寄り添う「町」が発達して「都市」になったところは少し趣が異なった場所になりますが、権力の都合と金儲けのためだけにつくられた「ヨコハマ」みたいな大都市は「伝統」という縛りがない分、大なり小なり一攫千金な街です。でも、そうしたことに現実に飛び込んで行こうとする人は、やっぱり「村」に居心地を見出せない人でしょう。たいていの人は博打に負けるはずですが、それでも大都市に居残る所以です。

大都市は寂しい人の集まりです。それがスタンダードです。大都市の繁華街の夜になんとなく影があるのもそのためななのかもしれませんし、高層マンション群な再開発の街並みの夜の、あの言いようのない寂寞感も、大都市にとっては生成りの風情なのかもしれません。

でも、ふるさとを後にしてきた人たちの子どもたち、孫たちには、寂しさの「原因」がわかりません。お父さんやお母さんたちも「寂しさ」を感じさせないようにしていたでしょうし、故郷に居場所がないことには触れなかったでしょう。そして、今いる大都会にとっては「よそ者」。この浮遊感には居心地の悪さを感じながらも、その原因が判らないのが出稼ぎ組の二代目、三代目です。

こうした人たちが、家族という拠り所も失って大都会に漂う…そして、高齢者になっていく。

ある意味、辛いところを直視することになるのかもしれませんが、それでも看過すべきことではありません。今こそ大都市の寂しさに着目すべきです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中